今年の夏休み(会津若松編) ~Day2 Part1~ [旅行]
昨晩、宿泊したホテルが非常に良くなく、早々に出発したもののこの日もあいにくの雨。
雨、雨、雨・・・・・雨ばっかり。
朝食を会津若松駅の立ち食い蕎麦にしようと車を走らせましたが、途中でマックが食べたくなり昨日見かけたマックを探してみたが、スーパーの中にある店舗でスーパーが開かないとマックも食べれんあえなくマックは断念。気を取り直して最初の訪問地へ・・・・。
【会津武家屋敷】
ここは会津藩家老の西郷頼母(さいごうたのも)の屋敷を移築してきたもの。
西郷頼母は「八重の桜」では西田敏行さんが演じてましたね。容保の京都守護職就任を最後まで反対して容保の怒りを買い、その後も否定的な態度を維持し続けた為、遂には家老職を一時解任されてしまったと言われてます。
またあの「姿三四郎」のモデルとなった西郷三四郎は西郷頼母の養子だったそうです。
知らなかった・・・・
西郷頼母邸見取り図
本当に色々な名目の部屋が多いです。
玄関から順路を辿り、各部屋を覗いてみるとこんな感じです。(一部割愛)
一番心に残った部屋はやはり「自刃の間」でしょうか。
この部屋で妻の千重子をはじめ、義母、妹、子供たちが亡くなっています。
なよ竹の 風にまかする 身ながらも
たわまぬ節の ありとこそきけ
「女(め)竹、細竹は、風に任せているように見え、私も今の時代に身を任せているが、
竹にも折れないための節があるように、女性にも貞節があることを知っていてほしい」
頼母の妻、千重子の辞世の句です。
「信念」というものの重みは昔と今ではだいぶ違うのだと感じます。
武士の妻として、母として、女性としての信念を貫き通す為に命をかける。
人の命というものはもっと尊くて重いものなのではないのかと感じる一方で
「信念」とは本来はこの様に絶対的で決して曲げる事ができない本当に強い強い
意志なのかもしれないと感じました。
続いては白虎隊自刃の地、「飯盛山」へ。
戊辰戦争で戦った16~17歳の少年たちが、この場所で炎に包まれた鶴ヶ城を望みながら自刃を決行しました。
かなりの坂道です。
エスカレーター的なものがありましたが、ここは自分の足で上らねば・・・。
階段を一段一段、踏みしめながら上ります。
お墓と自刃の地は100メートルぐらい離れていますが、まずは「自刃の地」へ
真ん中の白虎隊士が向いている方向に「鶴ヶ城」が見えます。
この中に鶴ヶ城が写っているのですが、見えないですね
少年達がどんな気持ちで城を眺めていたのかと思うと胸がいっぱいになります・・・
この後、お墓に行ったのですが、この地で亡くなった19名(自刃を決行したのは20名)の少年達全員にお線香をあげていたので写真がありません。
武家屋敷に続き、女性、そして少年でさえも「信念」「忠義」を貫き通す強さを感じました。
お墓の下にある「宇賀神堂」
明治23年につくられた白虎隊十九士の洋装の霊像が祀られています。
その下には不思議な建物が・・・
さざえ堂
形がさざえの殻に似ていることから俗に『さざえ堂』と呼ばれ、階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されているとのことです。
中はこんな感じ。確かに誰にも会わず。不思議でしたわ~~
飯盛山を後にして、そろそろお昼ごはんへ♡
会津にはおいしいおそばがあるということで、ネットでヒットした三都のそばが食べられる「かみしろや」さんへ
三都そばとは、福島県山都町のご当地グルメで、標高500mの昼夜の寒暖の差が大きな気候や、朝霧のたつ清流沿いの耕地で栽培されていることなどで、そばどころ会津の中でも、山都のそばは特に美味しいといわれているそうです。
お店は鶴ヶ城のすぐそばでした。とてもきれいな店内です。
私はカモそば、♂はちらし蕎麦定食(ごはんと天ぷらのセット)を注文
あれ、カモが沈んでる(笑)
そばは白っぽいですね。私のカモそばは、温かいそばだからか?なんだか麺にコシがない
お出汁はおいしいですが、カモにもちょっと臭みがあったかな。
♂のちらしそば定食は、せいろだったのでそばにコシがありとても美味しかったです。
天ぷらも揚げたてでサクサク~
そして何よりも美味しかったのはご飯!どこのお米か聞きそびれましたが、お米が甘くて炊き加減も抜群。おかわりしちゃいました(笑)
私も冷たいそばにすればよかったと後悔(^^;)
午後の部は長くなりそうなのでパート2へと続きます。
日新館、鶴ヶ城、酒蔵、夜ご飯になりますのでお楽しみに
雨、雨、雨・・・・・雨ばっかり。
朝食を会津若松駅の立ち食い蕎麦にしようと車を走らせましたが、途中でマックが食べたくなり昨日見かけたマックを探してみたが、スーパーの中にある店舗でスーパーが開かないとマックも食べれんあえなくマックは断念。気を取り直して最初の訪問地へ・・・・。
【会津武家屋敷】
ここは会津藩家老の西郷頼母(さいごうたのも)の屋敷を移築してきたもの。
西郷頼母は「八重の桜」では西田敏行さんが演じてましたね。容保の京都守護職就任を最後まで反対して容保の怒りを買い、その後も否定的な態度を維持し続けた為、遂には家老職を一時解任されてしまったと言われてます。
またあの「姿三四郎」のモデルとなった西郷三四郎は西郷頼母の養子だったそうです。
知らなかった・・・・
西郷頼母邸見取り図
本当に色々な名目の部屋が多いです。
玄関から順路を辿り、各部屋を覗いてみるとこんな感じです。(一部割愛)
一番心に残った部屋はやはり「自刃の間」でしょうか。
この部屋で妻の千重子をはじめ、義母、妹、子供たちが亡くなっています。
なよ竹の 風にまかする 身ながらも
たわまぬ節の ありとこそきけ
「女(め)竹、細竹は、風に任せているように見え、私も今の時代に身を任せているが、
竹にも折れないための節があるように、女性にも貞節があることを知っていてほしい」
頼母の妻、千重子の辞世の句です。
「信念」というものの重みは昔と今ではだいぶ違うのだと感じます。
武士の妻として、母として、女性としての信念を貫き通す為に命をかける。
人の命というものはもっと尊くて重いものなのではないのかと感じる一方で
「信念」とは本来はこの様に絶対的で決して曲げる事ができない本当に強い強い
意志なのかもしれないと感じました。
続いては白虎隊自刃の地、「飯盛山」へ。
戊辰戦争で戦った16~17歳の少年たちが、この場所で炎に包まれた鶴ヶ城を望みながら自刃を決行しました。
かなりの坂道です。
エスカレーター的なものがありましたが、ここは自分の足で上らねば・・・。
階段を一段一段、踏みしめながら上ります。
お墓と自刃の地は100メートルぐらい離れていますが、まずは「自刃の地」へ
真ん中の白虎隊士が向いている方向に「鶴ヶ城」が見えます。
この中に鶴ヶ城が写っているのですが、見えないですね
少年達がどんな気持ちで城を眺めていたのかと思うと胸がいっぱいになります・・・
この後、お墓に行ったのですが、この地で亡くなった19名(自刃を決行したのは20名)の少年達全員にお線香をあげていたので写真がありません。
武家屋敷に続き、女性、そして少年でさえも「信念」「忠義」を貫き通す強さを感じました。
お墓の下にある「宇賀神堂」
明治23年につくられた白虎隊十九士の洋装の霊像が祀られています。
その下には不思議な建物が・・・
さざえ堂
形がさざえの殻に似ていることから俗に『さざえ堂』と呼ばれ、階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されているとのことです。
中はこんな感じ。確かに誰にも会わず。不思議でしたわ~~
飯盛山を後にして、そろそろお昼ごはんへ♡
会津にはおいしいおそばがあるということで、ネットでヒットした三都のそばが食べられる「かみしろや」さんへ
三都そばとは、福島県山都町のご当地グルメで、標高500mの昼夜の寒暖の差が大きな気候や、朝霧のたつ清流沿いの耕地で栽培されていることなどで、そばどころ会津の中でも、山都のそばは特に美味しいといわれているそうです。
お店は鶴ヶ城のすぐそばでした。とてもきれいな店内です。
私はカモそば、♂はちらし蕎麦定食(ごはんと天ぷらのセット)を注文
あれ、カモが沈んでる(笑)
そばは白っぽいですね。私のカモそばは、温かいそばだからか?なんだか麺にコシがない
お出汁はおいしいですが、カモにもちょっと臭みがあったかな。
♂のちらしそば定食は、せいろだったのでそばにコシがありとても美味しかったです。
天ぷらも揚げたてでサクサク~
そして何よりも美味しかったのはご飯!どこのお米か聞きそびれましたが、お米が甘くて炊き加減も抜群。おかわりしちゃいました(笑)
私も冷たいそばにすればよかったと後悔(^^;)
午後の部は長くなりそうなのでパート2へと続きます。
日新館、鶴ヶ城、酒蔵、夜ご飯になりますのでお楽しみに
会津若松ですね!
近いけど意外と行かないんですよね~
さざえ堂が気になりました。不思議で面白い☆
ここは行ってみたいです。
お蕎麦もおいしそう♡
そろそろ新蕎麦の季節ですね~ 食べたいな~
by ミケシマ (2015-10-03 21:53)
ミケシマさんへ
会津行かれたことないんですね~。おいしいお酒もありますしぜひぜひ(^^)さざえ堂、ほんと不思議でしたよ。ものの2.3分で終わってしまいますが(笑)おそば、これからおいしくなりますねぇ。新潟はおいしいおそばたくあんありそうですね。うらやましいです^^
by まろまろまね (2015-10-13 18:27)